最後は3役であるパイロット、代表、全体設計からの引退コメントです。
まずは、21代パイロットからです。
お世話になっております。21代Windnautsのパイロットを務めた久保陸です。
まずはこの場を借りて、日々の作業を黙々とこなし、TFまで漕ぎつけてくださったWindnautsの皆、OBの方々、その他ご協力いただいた多くの方々にお礼を申し上げます。私を飛ばさせてくれて本当にありがとうございました。
この2年半は非常に長く感じました。鳥人間コンテストを目の前で見て、20代の先輩方と一緒に日々機体を作っていた1年目。突然の閉鎖で先が絶たれた先輩方の無念を受け継ぎ、完成形も知らない22代の後輩たちと来年こそはと作業を続けた2年目。コンテスト出場が絶望的になりゴールが見えない中でも、せめて機体を完成させて次へ引継ぎ、何より自分たちが今まで何を作っていたのかということを見せるために飛んだ3年目でした。目前の作業に追われ、もはや何を作っているのか見失いかけていた部員の皆に、最後に飛んでいる人力飛行機の姿を見せられたこと、喜んでくれたこと、確かに来年につながる勇気を与えられたことが何より嬉しく誇らしかったです。また、事故でプロペラが破損し翼桁にもダメージが懸念された中で落ち着いて解決策を模索、実行し、各種試験を行ってわずか1週間で次のTFを実現させた設計陣をはじめとした部員の姿に私も勇気を貰って飛び続けることができました。どんな逆境でも最後まで諦めずに飛ばそうとするところにWindnautsの本当の強さを垣間見ました。
しかし今まで最善を尽くして頑張ってくれた皆に対して失礼なのを承知で言うと、やはり心残りはあります。もし自分が今年の夏琵琶湖の空にいたら…と考えない日はありません。やっているうちに純粋に自転車が好きになったから…とは言いつつも、まだ心のどこかでは飛ぶことを捨てきれずに今もトレーニングを続けています。他大学、他チームのフライトを見ては感心して憧れ続けています。浮いたときの感覚、フェアリング越しの景色、吹き込む風、ペダルの重さ、操縦稈の感触、計器の映す表示、サドルから伝わる振動がずっと焼き付いています。仕方なかったといえばそれまでですが、その一言で済ませるにはあまりにも重たいものです。そんな中でも出来るだけのTFを行い、確かな手ごたえを感じながら少しずつ上手くできるようになっていきました。しかしながら天候や事故などの不運も重なり方向舵の制御や飛び切りなどには手が届かず、未熟なパイロットのまま終わってしまいました。来年の応用的な飛行指導に関しては依然として課題が残されています。OBパイロットの方々とも連携しながら、22代パイロットの丹治君と一緒に進めていきます。
飛ぶことはおろか機体の完成を見ることなく終わってしまった去年からの確実な進歩を感じるとともに、来年こそは、機体を作り上げた20代、託された機体を完成させ飛行させた21代の意志をさらに受け継いだ22代の後輩たちが琵琶湖の空の果てまで辿り着くと信じています。そのために私も、皆が与えてくれた貴重な経験をもとに全力でサポートします。そのことこそ21代が引退を先延ばしにしてまで私に託してくれた使命です。
どうか私たちよりも遥か先へ、3年間紬がれ続けてきた燦を飛ばしてください。
以上、21代パイロットからでした。
次に、21代代表からです。
皆様、お久しぶりです。Windnautsの2021年度代表を務めておりました、内藤晃史です。
我々21代が執行代としてこの部を取り仕切ってきたのは、(おそらく)歴代で最長の447日でした。しかしながら、実際機体の製作やTFなどの活動できた日数はおそらく半分もありません。数字だけ一見すると「コロナに振り回されて、なんて中身のない執行代だったのだ」と思いもしたのですが、振り返ってみればそんなことはなかったのかもしれません。
これからの見通しも立たない状態で行われた代交代。当初期待していた予定とは裏腹に活動制限は長く続き、気づいたときには冬の始まりとなっていました。なんとかして鳥人間コンテストだけには出場しようと、活動再開後は厳しい制限下でもできる限り製作活動を進めました。しかし、結局は1月から2度目の活動制限。挙句の果てに、書類審査に合格するも辞退せざるを得ない、という苦渋の決断をしなくてはなりませんでした。出場できたかもしれない合格切符を自らの判断で捨ててしまうのは20年近く生きてきた中で一番つらかったことだと思います…。皮肉なことに今もなお合格書類は私の家に保管されていますが、あきらめる判断をして以降、開いたことはありません。(せっかくなので部室にでも保管しておこうと思います。こうしてごみは増えていく笑)
しかしながら、来年度以降に向けて我々も立ち止まらずに、せめてTFは行えるよう何とかしてこぎつけることができました。そして今まで苦しい状況しか続いていなかったこともあって、初めて燦が浮いたあの瞬間は、やはり言葉で言い表せられないような達成感を感じることができました。秋にしては天候的に恵まれることも多く、最後の最後で雨に見舞われてしまったとはいえ、(思ったよりも)それなりにTFをこなすことができたのは、最後の最後でツキが回ってきた、と信じたいです。笑
最後になりますが、我々21代がここまでやってこれたのは、何とかして燦を離陸させることができたのは、まぎれもなくOld Birdmanの方々(先輩方)や、これまで私たちの活動へのご支援・ご声援をしていただいた方々のおかげです。心より感謝いたします。
また、通常の引退時期よりも延ばす、という鳥コン出場ができなくなりモチベーションを失った者もいる中で、引継ぎだけの為に在籍し続けた21代のみんなも大変だったと思います。
改めて、21代のみんな、本当にお疲れ様でした。
これからも東北大学Windnautsをどうぞよろしくお願いいたします。
2021年度代表 内藤晃史
最後に、21代全体設計からです。
皆様こんにちは。21代で全体設計を務めました、上野直哉です。
琵琶湖での飛行という夢こそ叶いませんでしたが、最終的にはグラウンドや滑空場でのフライトを実施することができました。多くの方々のご支援・ご協力無くして達成できるものでは無かったと思います。心より感謝申し上げます。
活動停止、そして鳥コンの中止という想像もしていなかった事態から始まった執行代でした。代替わり以降も満足のいく活動はできず、鳥コンへの出場辞退という決断に至りました。21代の機体、そして20代の機体でもある”燦”で新たな記録を打ち立てるという願いを叶えることができず、また、応援してくださった方々の期待にも応えることができず悔しい限りです。その後何とかテストフライトまで漕ぎ着けましたが、21代や後輩達、OBの方々や関係者の方々など多くの方にご迷惑をおかけし、負担を強いてしまいました。下した決断に後悔はありませんが、今尚より良い道があったのではないのかという自問は止みません(それを後悔と呼ぶのでは...)。
何やら暗い話になってしまいましたが、それでも私はWindnautsに入って良かったと思っています。入部してから約2年半、設計や製作等を通して得がたい経験を積むことができ、辛くも充実感のある日々を過ごすことができました。
今後はこれまでの反省点を活かして、OBとして後輩達の一助となれるよう全力を尽くすつもりです。
様々なところで、多くの方々に支えていただきここまで走り抜けることができました。本当にありがとうございました。
22代の行く手にはまだまだ多くの困難が待ち構えています。これまで以上に厳しい状況にいますが、その中でも彼らは精力的に製作を行っています。どうか、これからも東北大学Windnautsへの応援をよろしくお願いいたします。そして是非、今後にご期待ください。
21代全体設計からでした。
以上、21代の各班一人ずつと、3役による引退コメントでした。例年とは状況が異なる中、21代が活動をし、鳥コンには出ることが出来なかったものの、一つの形として引退することが出来たのは、間違いなく引き継ぎのために何回も作業場に足を運んで下さったOld Birdmanの皆様、TFに協力してくれた23代、そしてなにより21代についてきてくれた22代のおかげです。今まで本当にありがとうございました。そして来年度に向けて頑張って下さい。
また、21代によるブログ更新もこれをもって終わりとなります。至らない点が多々あったと思いますが、1年間ブログを読んで下さり、本当にありがとうございました。
次回からブログや公式Twitterの更新は、22代広報が担当いたしますので、引き続きブログを、そして学友会人力飛行部 Windnautsを宜しくお願いいたします。
21代広報担当 長谷川諒
まずは、21代パイロットからです。
お世話になっております。21代Windnautsのパイロットを務めた久保陸です。
まずはこの場を借りて、日々の作業を黙々とこなし、TFまで漕ぎつけてくださったWindnautsの皆、OBの方々、その他ご協力いただいた多くの方々にお礼を申し上げます。私を飛ばさせてくれて本当にありがとうございました。
この2年半は非常に長く感じました。鳥人間コンテストを目の前で見て、20代の先輩方と一緒に日々機体を作っていた1年目。突然の閉鎖で先が絶たれた先輩方の無念を受け継ぎ、完成形も知らない22代の後輩たちと来年こそはと作業を続けた2年目。コンテスト出場が絶望的になりゴールが見えない中でも、せめて機体を完成させて次へ引継ぎ、何より自分たちが今まで何を作っていたのかということを見せるために飛んだ3年目でした。目前の作業に追われ、もはや何を作っているのか見失いかけていた部員の皆に、最後に飛んでいる人力飛行機の姿を見せられたこと、喜んでくれたこと、確かに来年につながる勇気を与えられたことが何より嬉しく誇らしかったです。また、事故でプロペラが破損し翼桁にもダメージが懸念された中で落ち着いて解決策を模索、実行し、各種試験を行ってわずか1週間で次のTFを実現させた設計陣をはじめとした部員の姿に私も勇気を貰って飛び続けることができました。どんな逆境でも最後まで諦めずに飛ばそうとするところにWindnautsの本当の強さを垣間見ました。
しかし今まで最善を尽くして頑張ってくれた皆に対して失礼なのを承知で言うと、やはり心残りはあります。もし自分が今年の夏琵琶湖の空にいたら…と考えない日はありません。やっているうちに純粋に自転車が好きになったから…とは言いつつも、まだ心のどこかでは飛ぶことを捨てきれずに今もトレーニングを続けています。他大学、他チームのフライトを見ては感心して憧れ続けています。浮いたときの感覚、フェアリング越しの景色、吹き込む風、ペダルの重さ、操縦稈の感触、計器の映す表示、サドルから伝わる振動がずっと焼き付いています。仕方なかったといえばそれまでですが、その一言で済ませるにはあまりにも重たいものです。そんな中でも出来るだけのTFを行い、確かな手ごたえを感じながら少しずつ上手くできるようになっていきました。しかしながら天候や事故などの不運も重なり方向舵の制御や飛び切りなどには手が届かず、未熟なパイロットのまま終わってしまいました。来年の応用的な飛行指導に関しては依然として課題が残されています。OBパイロットの方々とも連携しながら、22代パイロットの丹治君と一緒に進めていきます。
飛ぶことはおろか機体の完成を見ることなく終わってしまった去年からの確実な進歩を感じるとともに、来年こそは、機体を作り上げた20代、託された機体を完成させ飛行させた21代の意志をさらに受け継いだ22代の後輩たちが琵琶湖の空の果てまで辿り着くと信じています。そのために私も、皆が与えてくれた貴重な経験をもとに全力でサポートします。そのことこそ21代が引退を先延ばしにしてまで私に託してくれた使命です。
どうか私たちよりも遥か先へ、3年間紬がれ続けてきた燦を飛ばしてください。
以上、21代パイロットからでした。
次に、21代代表からです。
皆様、お久しぶりです。Windnautsの2021年度代表を務めておりました、内藤晃史です。
我々21代が執行代としてこの部を取り仕切ってきたのは、(おそらく)歴代で最長の447日でした。しかしながら、実際機体の製作やTFなどの活動できた日数はおそらく半分もありません。数字だけ一見すると「コロナに振り回されて、なんて中身のない執行代だったのだ」と思いもしたのですが、振り返ってみればそんなことはなかったのかもしれません。
これからの見通しも立たない状態で行われた代交代。当初期待していた予定とは裏腹に活動制限は長く続き、気づいたときには冬の始まりとなっていました。なんとかして鳥人間コンテストだけには出場しようと、活動再開後は厳しい制限下でもできる限り製作活動を進めました。しかし、結局は1月から2度目の活動制限。挙句の果てに、書類審査に合格するも辞退せざるを得ない、という苦渋の決断をしなくてはなりませんでした。出場できたかもしれない合格切符を自らの判断で捨ててしまうのは20年近く生きてきた中で一番つらかったことだと思います…。皮肉なことに今もなお合格書類は私の家に保管されていますが、あきらめる判断をして以降、開いたことはありません。(せっかくなので部室にでも保管しておこうと思います。こうしてごみは増えていく笑)
しかしながら、来年度以降に向けて我々も立ち止まらずに、せめてTFは行えるよう何とかしてこぎつけることができました。そして今まで苦しい状況しか続いていなかったこともあって、初めて燦が浮いたあの瞬間は、やはり言葉で言い表せられないような達成感を感じることができました。秋にしては天候的に恵まれることも多く、最後の最後で雨に見舞われてしまったとはいえ、(思ったよりも)それなりにTFをこなすことができたのは、最後の最後でツキが回ってきた、と信じたいです。笑
最後になりますが、我々21代がここまでやってこれたのは、何とかして燦を離陸させることができたのは、まぎれもなくOld Birdmanの方々(先輩方)や、これまで私たちの活動へのご支援・ご声援をしていただいた方々のおかげです。心より感謝いたします。
また、通常の引退時期よりも延ばす、という鳥コン出場ができなくなりモチベーションを失った者もいる中で、引継ぎだけの為に在籍し続けた21代のみんなも大変だったと思います。
改めて、21代のみんな、本当にお疲れ様でした。
これからも東北大学Windnautsをどうぞよろしくお願いいたします。
2021年度代表 内藤晃史
最後に、21代全体設計からです。
皆様こんにちは。21代で全体設計を務めました、上野直哉です。
琵琶湖での飛行という夢こそ叶いませんでしたが、最終的にはグラウンドや滑空場でのフライトを実施することができました。多くの方々のご支援・ご協力無くして達成できるものでは無かったと思います。心より感謝申し上げます。
活動停止、そして鳥コンの中止という想像もしていなかった事態から始まった執行代でした。代替わり以降も満足のいく活動はできず、鳥コンへの出場辞退という決断に至りました。21代の機体、そして20代の機体でもある”燦”で新たな記録を打ち立てるという願いを叶えることができず、また、応援してくださった方々の期待にも応えることができず悔しい限りです。その後何とかテストフライトまで漕ぎ着けましたが、21代や後輩達、OBの方々や関係者の方々など多くの方にご迷惑をおかけし、負担を強いてしまいました。下した決断に後悔はありませんが、今尚より良い道があったのではないのかという自問は止みません(それを後悔と呼ぶのでは...)。
何やら暗い話になってしまいましたが、それでも私はWindnautsに入って良かったと思っています。入部してから約2年半、設計や製作等を通して得がたい経験を積むことができ、辛くも充実感のある日々を過ごすことができました。
今後はこれまでの反省点を活かして、OBとして後輩達の一助となれるよう全力を尽くすつもりです。
様々なところで、多くの方々に支えていただきここまで走り抜けることができました。本当にありがとうございました。
22代の行く手にはまだまだ多くの困難が待ち構えています。これまで以上に厳しい状況にいますが、その中でも彼らは精力的に製作を行っています。どうか、これからも東北大学Windnautsへの応援をよろしくお願いいたします。そして是非、今後にご期待ください。
21代全体設計からでした。
以上、21代の各班一人ずつと、3役による引退コメントでした。例年とは状況が異なる中、21代が活動をし、鳥コンには出ることが出来なかったものの、一つの形として引退することが出来たのは、間違いなく引き継ぎのために何回も作業場に足を運んで下さったOld Birdmanの皆様、TFに協力してくれた23代、そしてなにより21代についてきてくれた22代のおかげです。今まで本当にありがとうございました。そして来年度に向けて頑張って下さい。
また、21代によるブログ更新もこれをもって終わりとなります。至らない点が多々あったと思いますが、1年間ブログを読んで下さり、本当にありがとうございました。
次回からブログや公式Twitterの更新は、22代広報が担当いたしますので、引き続きブログを、そして学友会人力飛行部 Windnautsを宜しくお願いいたします。
21代広報担当 長谷川諒
2021,10,25 Mon 12:52
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