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24代引退の挨拶
お久しぶりです、元24代広報係の西島です!先日の鳥人間コンテストの放送を終え、我々24代は完全に引退となりました。最後に、部員からの引退の挨拶をいただきましたので、是非ご一読ください!


WindnautsOBの皆様、日頃よりお世話になっております。第46回鳥人間コンテストをもちまして全体代表を退任いたしました、左高匡信と申します。
はじめに、先日の鳥コンならびにその準備期間、また年間を通じて皆様方には多大なるご支援をいただいたことにつきまして、この場を借りて深く感謝申し上げます。準備を円滑に進め、安全に機体を飛ばすことができたのは、ひとえに我々を支えてくださる皆様方のお陰でございます。本当にありがとうございました。

ここからは24代全体の振り返りと代表として個人的な振り返りを書かせていただきます。
24代としては、入学から22代を見て執行代になるまでは23代の背中を見てきました。先輩方は鳥コンで圧倒的な成績を収めてきたことから、24代は「我々も先輩方と同様にビックフライトができる」という思いと「自分の代でしょぼい記録を残したらどうしよう」という思いを抱えながら活動してきました。大きな期待と不安を抱いて活動してきた1年でした。
特に代変わってすぐの夏休みは、製作に必要な物品が届かず、予定していた桁焼き日程が遅れたうえに破壊試験にも失敗しました。その時の焦りは挫折を経験したことが無かった24代にとっては苦しいものでした。その後も桁焼きが軌道に乗り始めたのは11月以降で、これまでの倍の人数入部した25代への引き継ぎなどで様々なことが上手くいかずに四苦八苦していました。
また、コロナ渦で失われたWindnautsの文化をどこまで継承するかを決めた世代でもあります。どの規準を残し、どの規準を残さないのかを意識的にも無意識的にも迫られ、21代以前の先輩方が見たら驚くような「ゆるい部活」になってしまった可能性もあります。
しかし、「ゆるい部活」になったからこそ25・26代は55名と大所帯になりました。人数が多いからこその利点と、作業練度や責任の所在といった問題は表裏一体だと感じます。今後の彼ら・彼女らの動向を見て、規準をゆるめた結果の成否を判断したいと思います。

ここからは代表として個人的な振り返りを行いたいと思います。
代表となって立てた目標は「製作環境を整える」ことです。具体的には資金と製作環境をより良いものにすることを目標としました。その結果5年で3回優勝できるチームの土台を作りたいと考えていました。
ギビングキャンペーンという寄付イベントでは春は入学直後の25代の親御さんの寄付、秋は他大学の鳥人間チームと協力して多くの支援金を獲得しました。この場を借りて感謝申し上げます。今秋にも開催されるのでご協力くださいますようお願いいたします。
昨年から設立された東北大学基金のWindnauts支援募金では、基金校友事業室の職員の方々の協力もあり、昨年度より多くの募金がありました。その繋がりから基金校友事業室の職員の方々と懇意にさせていただき、東北大学全体の同窓会での講演依頼を受けるほどの信頼関係を築くことができました。
これらの寄付は支えてくださる皆様方のおかげで成り立っています。後輩達には皆様方に驚きと感動を与えられるように今後も努力していって欲しいです。
製作環境については、新しい部屋の獲得を目指しましたが、学生支援課には「特別扱いはできない」と伝えられ、新しい部屋は見つけることができませんでした。55人と大所帯になったため、何かしらの対策を見つけることが必要です。
また、広報活動にも積極的に取り組み、取材依頼は実現可能なものは断らずに対応しました。学内広報はもちろん、新聞やテレビにも取り上げられる機会があり、露出度を高めることを目指しました。部の公式X(旧Twitter)の運営方針を変え、これまでと比べて積極的に情報発信するように活動していました。価値のあるSNSアカウントを目指してフォロアー5000人を目標としましたが、思ったよりも伸びませんでした。後輩は人数が多いので、やることがない部員がいたら本気で広報に取り組む部員がいてもいいのではと考えています。

改めまして、支えてくださる皆様方の御協力によって24代は活動することができました。未熟な運営でしたが、完遂できて満足しています。本当にありがとうございました。
最後に、今年の機体をともに製作してきた仲間である24代の名前を載せ、挨拶を締めさせていただきます。




2024年度執行代メンバー

全体代表:左高匡信
全体設計:稲垣翔伍
パイロット:登藤成琉

翼班:北尾政憲、野呂香織(会計)、酒井藍
プロペラ班:山岸巧実、仲田千智
コックピット班:西島光輝、志田遥望
駆動班:稲垣翔伍
フェアリング班:秋田良汰、塚本夕菜、荒木健司
操舵班:城田嶺人、左高匡信
電装班:黒木光

Windnauts24代代表 左高匡信


 ブログをご覧の皆様、お久しぶりです。2024年度の全体設計を担当しておりました、稲垣翔伍と申します。今年の鳥人間コンテストでは、学生記録更新とはならなかったものの、21823.69mを飛行し、優勝することができました。目標の一つであった学生記録更新ができなかったことには、悔しさを感じますが、このメンバーで優勝という結果を得られたことをとても誇らしく思います。
 この一年を振り返ってみると、一昨年、昨年度と2年連続でチーム記録を更新するビッグフライトを目の前で経験し、24代の執行代はかなりの重圧の中はじまりました。絶対に優勝しなければならない、先輩を超えて学生記録を更新したい、プラホの目の前で機体が着水したらどうしようということをずっと考えていました。その上、いざ始まってみると、プリプレグの到着の遅れによるスケジュール調整、破壊試験の失敗、桁焼きでの積層ミスの多発などがあり、製作に関しても憂いが絶えませんでした。しかしながら、OBの方々の献身的なサポートのおかげで、荷重試験やTFでは大きなトラブルが起こること無く通過することができ、鳥コンにおいても無事にフライトすることができました。この場を借りて、OBの方々のご協力に心から感謝申し上げます。
 設計として「颯」について述べさせていただきます。設計コンセプトは、「安定して30kmを飛べる機体」としました。このような設計コンセプトとしたのは、我々の目標が優勝と学生記録更新であり、BHIが出なければ30km飛べば確実に優勝でき、このような機体であれば気候によっては学生記録更新も可能であると考えたからです。したがって、耐候性を上げるため高速化を目指し、機速は7.4m/sとしました。また、我々は中央翼および内翼にDAE21を用いてきましたが、高速化にともなう有害抗力削減のため、FX-76-MP-140を混合し翼弦長を短縮したオリジナル翼型「Hrmy」を使用しました。この翼型の特徴としては、DAE21よりも翼厚が大きいことと、失速特性が優れていることにあります。その他の設計に関しては、これまで用いていたように歴代の設計プログラムを回し、各翼のスパンや取付角を最適化していきました。結果として、機速7.4m/s、パイロット体重58kg、スパンは31.8m、設計出力は219Wという機体に仕上がりました。今年のパイロットは、大出力型のパイロットだったので、220W以下に抑えるようなイメージで設計し、結果として219Wとなったのでそのあたりは良い設計ができたのではないかと自負しております。ELEに関しては、主翼の翼型変更に伴い、容積の見直しを行いました。結論としては、容積は変えなくてよいということになりました。DAE21を用いる際は、ELE容積はもう少し削っても良いのかもしれません。また、RUDに関しては昨年度プラホに擦ってしまったので、下部長をできる限り短縮しました。気候やプッシャーの働きが大きいと思いますが、飛び立った瞬間、特に擦ったような感じも無く、滑らかに飛び立った機体を見てとても安堵しました。
 TFでは、GTFは10回、KTFは2008年以来の6回を行うことができました。パイロットの操縦に関しては、はじめの方は不安感がありましたが、回を重ねるごとに上達が見られ、TFを多く重ねることの重要性を改めて感じました。ここまで多数のTFを行えたのは、かねてより目標としていた早期ロールアウトが達成できたであり、昨年度の23代の方々の動きをみて、それを参考にしたスケジュールの立て方と、各班の頑張りのおかげだと思います。各班のパーリー及びその下で働いてくれた班員の方々には、過密スケジュールとなり、かなり苦労を掛けたとお思います。彼らの頑張りには、感謝しかありません。
 鳥コンでは、予報の段階では2~3m/sほどであり、始めは向かい風ですが、沖島からプラホに向かう際と、プラホから竹生島へ向かう際は弱い追い風となるという最高といっても良いほどの好条件でした。作戦としては、3kmは多景島を目指して直進、予報では湖陸風が見られるため多景島を迂回するのを第一とし、3kmの時点で特に湖陸風の影響を強く感じないようであれば多景島を迂回せず沖島へ行くというような作戦を立てておりました。実際、湖心近くまで出てみると波は穏やかで、それほど湖陸風の影響を感じないようでした。したがって、3kmほど直進後沖島に向かうという2023と同じようなルートをたどる形となりました。飛行中は、高度がかなり不安定で心配が絶えませんでした。何度か高度を上げさせるシーンがありましたが、2022のように地面効果との釣り合いが低めな機体であったと考えるならば、パイロットの体力的にも高度は3mほどで維持し、それ以上には無理に上げないという選択肢を取った方が良かったのかもしれないと思っています。
 また、昨年同様にパイロンがずれておりました。大会側のGPSではずれておりますが、目視では確実にまわっております。パイロンでの旋回は、通信がほぼできない状態での旋回となりました。旋回してもホーンが鳴らず、方向を見失ってもう一度旋回に入りかけ、さらにスパイラルで落ちそうになっているときはここで終わりかと、かなり焦りました。ほんとによく立て直せたなと思います。ノーツの高剛性により獲得した機動力の大きさが垣間見えた瞬間でありました。
その後は、3kmほど飛行して着水となりました。着水の瞬間は、正直実感が沸きませんでした。我々の機体は、プラホ前で旋回し、学生記録を更新するものであり、僕は学生記録更新しか見ておりませんでした。しばらくの間、機体が着水したという事実が受け入れられず、インタビュー等もある程度事前に考えていたことを絞り出すので精一杯でした。岸に帰った後で、メンバーと話して、そこでやっと受け入れられたように思います。胴上げの瞬間は、優勝まで機体を導いてくれた成琉とこれまで機体を製作してくれたノーツのメンバーの人に感謝の気持ちで一杯でした。少し悔いが残る結果でしたが、この1年頑張りが報われたように感じました。
最後に、この一年応援していただいた皆様、改めて感謝申し上げます。皆様の応援が無ければこのような結果は得られなかったと感じています。来年は、OBの立場に回り現役部員を支えていきたいと思います。25代では、今年以上の結果をもたらしてくれると思いますので、これからもWindnautsへのご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

2024年度 全体設計 稲垣翔伍


2024年のパイロットを務めました登藤成琉と申します。先日の鳥人間コンテストでは現役の部員はもちろん、OBOGやそれ以外の皆様の協力のもと優勝することができました。日頃から支えてくださり本当にありがとうございました。
今年度は、鳥人間コンテスト優勝と学生記録の更新という2つの目標を掲げていました。残念ながら学生記録を更新することはできませんでしたが、それでも16チームも参加したなかで一番長く飛んで優勝できたことは、とても誇らしく感じています。

この1年間を振り返って私の活動はほとんど07でエルゴを漕ぐ、ジムで自転車を漕ぐ、青葉山を往復する、でした。パイロットなのでトレーニングをするのは当たり前ですが、パイロットも機体制作に携わるのが例年の慣習だったと思います。それでも24代の仲間たちは作業を私に課すことなく、自分がトレーニングに専念できる環境を与えてくれていました。執行代に変わってから一定の期間は、変に重圧を感じることもなく淡々とトレーニングに励んでいましたが、あるとき自分はトレーニングしかしてない割に成果を出せていないのではないかと、メンタルが病む辛い時期もありました。それでもみんなが支えてくれて、自分も諦めずに最後までやり遂げることができました。もしかしたら自分に言いたいこと、不満があった人もいたのかもしれないけど、気をつかって見守ってくれてありがとう。
3年の春からは機体も完成しテストフライトが始まってようやくパイロットらしい活動が始まりました。集合時間は早いし、まだ眠いなか600wで機体を浮かせるのは体力的にはハードではあったけど、みんなが作った機体を自分の手で操縦して空を飛ぶという時間はとても充実していたし、帰りにコンビニで買い食いして先輩にも後輩にも奢ってもらうのは楽しかったです。飛行に関しても丁寧にOBの方々から教えてもらい、十分な練習ができました。本番も問題ないと言われたことは自信に繋がり、特に心配せずに本番に臨むことができました。部員のみんなと仲を深められたのもこの時期だったと思います。もっと前から、日頃から作業場に顔を出すべきだったなと少し反省もしています。
そして、いよいよ鳥人間コンテスト本番が来ました。東北大学のフライトは土曜日の最後の予定でしたが、日程が押して日曜の朝に変更になり、パイロット的には涼しくて風も穏やかな時間に飛べる非常にありがたい時間でした。プラットホームに立って湖を見てインタビューを受けたときは、今までの自分と仲間たちの頑張りが思い出されて、まだ飛んでないのに少し感動していました。その努力をここで全て出し切りたいという思いが半分、最後の最後だから琵琶湖のフライトを楽しんで終わりたいという思いが半分、そんな感じだったと思います。発進してすぐは、さっきまで周りにいた人がどんどん離れていって、自分一人で飛ぶしかない独特な緊張感と高揚感がありました。コックピット内は、風が入って快適な空間でした。出力も186wくらいで東北大学の機体性能の高さが顕著に現れていたと思います。いくらでも飛べると錯覚してしまうほどでした。少し時間が経ってプラットホーム旋回時くらいになると足が攣ってしまい、今までの練習中に足を攣ったことがなかったので正直凄い焦って漕いでいたのは覚えています。なんでこんなときに、って思ってたけどそれが実力だって今は思います。着水したときは両足とも攣ってああもう無理回せない、みんなごめんって感じでした。あんなにきつい練習もしていたのに出し切れなかったんじゃないかとも思いました。でも、考えてみればこれは凄く贅沢な悩みだと思います。詳しいことは分からないですが、他のチームの機体は東北大学の機体よりも操縦も難しくて出力も高いはずです。自分が別の学校のパイロットとして出ていたらあそこまで飛べてないし、もしかしたら飛べずに終わっていたかもしれません。Windnautsのパイロットだったから最高の飛行機で飛べて、優勝もできたのだと思います。そんな恵まれた環境でパイロットをやらせてくれて本当にありがとう。一年前に岩田先輩が胴上げされているのを見て、自分も来年されたいって密かに思っていて、それを叶えさせてくれてありがとう。何より、ボートで稲垣が、ハーバーでみんなが自分を笑顔で迎えてくれて本当に嬉しかったし、1年間頑張ってきて良かったって強く感じました。

鳥人間コンテストに出場し優勝できたことは私にとって最高の思い出です。この結果は、OBOGをはじめ支援してくださった方々の協力、そして24、25、26代の部員の努力のおかげです。ありがとうございました。自分が先輩方から教わったように、これからは後輩たちを支えていきたいと思います。
24代のみんなと活動できて楽しかったです。入部したての頃は、自分がパイロットに名乗っていいのか、なった後はちゃんと飛べるのか不安に思うこともあったけど、今改めてWindnautsに入って良かったと思います!本当にありがとう!!

24代 パイロット 登藤成琉


OBの皆様,日頃よりお世話になっております.2024年度翼班長の酒井藍です.部活を引退してやる事が全く無くなり,非常に暇な時間を過ごしております.これから今までやっていなかったバイトなどを始めて自分の好きなことに時間を使いたいと思います.
 本題に入りますが,今年度は24代3人,25代5人の8人と過去の2代に比べて非常に多い人数で活動しました.今年度は特に大きなトラブルもなく,辞める人が1人もいなかったため,その点は非常に良かったのではないかと思っています.ついてきてくれた私以外の7人には本当に感謝しかありません.特に私が指示したことに対して的確且つ正確に作業してくれるとともに,私の手が届かないところまで前もって動いてくれていた同期のかおりちゃんと,プランカーとして11月頃から根気よくプランクを作ったり,ほぼ全ての買い出しに行くなど自分の責務を全うしてくれた北尾くんは本当にありがとう.2人がいなければ絶対に作り上げることはできませんでした.なかなか改めて言う機会がないのでこの場を借りて言わせていただきました.
 さて,私事ではありますが私が翼班長になった経緯について話そうと思います.私は初め翼班長という立場にはおらず平社員として活動しておりました.しかし1年の3月の終わり頃,次期翼班長の立場にいた部員が辞めてしまい,その年の翼班長である森さんにやってみるかと言われ,部員が辞めた翌日にその場の流れで決まってしまった事をよく覚えています.その頃の私は翼班長の責任の重大さがあまりわかっておらず,なんとかなるだろうと楽観的でしたが,1つ上の先輩がもうすぐ引退で執行代になる実感が湧いてきてから,自分が作業に関してほぼ無知だという事に気づかされました.辞めた部員に対してはきっとなんとかしてくれると任せっきりだったことに,非常に申し訳なさを感じています.翼データの作り方もわからない状態で執行代になった私でしたが,初めは上手くいかないことばかりでした.接合部を作る際に内径と外径で測る位置を間違えて,新しいウレタン接合部の試験を延期させたり,破壊試験の錘位置を間違えたりなど夏休み中に上手くいったことはほとんどなかったと思います.しかし,夏休みの試作で一通りの間違えをしたためその経験を生かして9月終わりからの本番翼の製作は取り返しのつかないミスは避けることが出来ました.
 24代ではIMの接合部をスチボとベニアのミックスからウレタンに変更し,ガラスクロスが全て削れてしまった際にアセトンで溶ける事が無いようにしました.これは去年の鳥コン本番直前にガラスクロスが全て削れて,アセトンで拭いた際にスチボが溶けて接合部に穴が空いたことがあったため,このようなものを採用しました.採用するにあたって何度も試作を行い,結果本番でもウレタンにすることができて非常にうれしく思います.大きく変更した点は接合部ぐらいで,基本的に他は23代の先輩方が変更したものを引き継いで製作しました.製作していて大きな問題はなかったように思いますが,ブレーシングに関してはTFで飛ばした際に2本ほど固定がとれてしまった事がありました.この原因として①固定するときの力が弱かった②固定をプランク後に行っていたため去年よりも非常に強い力でブレーシングが張られていた,の2つが考えられます.固定がとれないようにするための対策は固定されているブレーシングの端に結び目を作り,接着剤の固定が取れたとしても最悪ブレーシングが抜けないようにすることです.後輩が同じ方法で行う際は必ずこのような対策をしてもらいたいと思いますが,私たちの時は結び目を作る余分なブレーシングが無かったため新たに紐を足して全ての箇所で再固定を行いました.結果TF前に測った時よりも,本番の方が約40g重くなってしまいました.機体製作に関して反省点があったとすればブレーシングだと思うので,後輩にはこの反省を生かして頑張ってもらいたいと思います.ロールアウトに関しては去年と同じようにやれば,GW中にロールアウトできることはわかっていたため,進捗状況をその都度去年と比較しながら作業した結果5/4にロールアウトさせることが出来ました.進捗は強引に私がスケジュールを立てても班員が必ずこなしてくれていたため,このような早期ロールアウトが達成できたと思っています.
 思い返してみると23代の時よりも翼製作に関しては割とトラブルが起こったように思いますが,結果的に優勝という報われる形になって良かったです.そしてほとんどわからない状態から機体を作り上げることができたのはOBの皆様が支援してくださったお陰です.特に23代OB翼班長の森さんには感謝してもしきれないほどの,多大なるご支援をいただきました.私が翼データの作り方もわかっていない状況で執行代になってから本当に多くの事を教わり,そして多くの失敗をしてきましたが,その度にミスを元に戻すための打開策を提案してくださって本当に精神的な支えとなっていました.指示したことに文句を言わずきちんとこなしてくれていた後輩たち,そしてプラホに上がる直前までずっと支えてくださった翼OBの方々,1年間執行代としてやってきて24代翼班は非常に恵まれていた代だったと思います.
 これから執行代となる25代翼班はまだ不安なことが沢山あると思いますが,作業に対してなぜという疑問を持つことができていたり,鳥コンの最後まで熱中症で倒れることなく作業できていたりと自分で考える力や忍耐力が備わっているなと感じる場面が多かったので心配はしていません.ただ少しでも不安な事があれば遠慮なく頼ってください.不安だったが相談しなかったことが意外と致命的なミスだったりします.頼るのは悪いことでは無いです.24代よりももっと軽く,そして精度の良い翼が作れるよう応援しています.頑張ってください.

2024年度 翼班長 酒井藍


日頃よりお世話になっております。24代プロペラ班班長を務めました仲田千智です。先日の鳥人間コンテストでは、たくさんのご支援、ご声援ありがとうございました。1年間の努力が優勝という結果で報われ、とてもうれしく思います。
今年度のプロペラ班では、代替わり後の8月から11月までカーボン製プロペラの試作に取り組みました。合計で4本のプロペラを積層・形成し、10月半ばに回転試験を成功させることができました。本来であれば、ここから表面処理やペラチップの形成などまで行い、完成させてTFで試用したかったのですが、本番用のバルサ製プロペラの制作に取り掛からなければならなかったため、24代での試作はここまでとしました。現在すでに、25代がカーボン製プロペラの試作を引き継いで進めてくれています。25代で製作方法を確立し、近いうちに大会本番で見られるのではと密かに期待しております。
 12月からはバルサ製のプロペラ制作を開始し、5月のTF開始までにTPと本番用合わせて4本製作しました。班員の頑張りにより例年に比べても早くロールアウトすることができました。また、制作精度の観点からみても、満足いくようなきれいなプロペラに仕上げることができました。これもすべて多くの場面で支えてくださった先輩方、ついてきてくれた後輩たちのおかげです。本当にありがとうございました。来年度以降もこれまでの伝統を引き継ぎながら、そこに独自のアイディアを加えて、新たな歴史を作っていってほしいです。
 最後になりますが、今年度もたくさんのご支援本当にありがとうございました。来年度以降も引き続き活動を見守っていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

Windnauts24代プロペラ班班長 仲田千智


24代フェアリング班パートリーダーを務めました、塚本夕菜です。
2024年度のフェアリングは、24代3人と25代3人で製作しました。昨年の4人体制から6人体制になりましたが、班作業に偏りがないようにシフトを組むことで、一人当たりの負担を減らしつつも作業に必要な技術継承を十分できたかなと思います。
さて、今年の班活動について報告させていただきます。まず、今年のフェアリングの大きな変更点は、設計時に決定する断面を翼型から数式を用いた曲線に変更したことです。これにより、前方投影面積及び表面積の大幅な削減を実現しました。使用する数式は山名正夫「飛行機設計論」495〜497ページ記載の「嶋本の機体表面整形法」を参考にし、設計時に翼型使用時(TF用フェアリング)の性能と比べても遜色ない、あるいはそれ以上の性能を発揮することをCFDの解析より確認しました。換気面では去年、一昨年の機体のインテークを参考にし、例年より比較的大きくインテークを開け、パイロットギリギリまでダクトを近づけたところ、風絶ちぬであったようで、これからのF設計への置き土産が出来たかなと思います(By フェアリング班設計)。
また、今年はサブパーツのほとんどをNCで製作しました。23代から創造工学センターにある3次元NC加工機(MDX-500)を用いた小さなパーツの試作がなされ、24代ではウィングレットや尾翼チップを除いたほとんどのサブパーツを、NCを利用して製作しました。NCの高さ制限による必然のパーツ分割と、加工済み発泡ブロックからパーツ本体を綺麗な状態で取り出す難しさ、さらにパーツ片同士の接合面を平に相貫する難しさなど、NCを本格導入することでたくさんの課題が浮上しました。しかしそれ以上に、本番1~2ヶ月前の忙しい時期の班作業時間を短縮し、精度も良く、予備まで準備する余裕ができたので、NCを利用して良かったと思います。
さらに、東京都立産業技術高等専門学校TeamЯTRの方に教えていただき、窓をキャノピー方式で製作することに挑戦しました。試行錯誤を繰り返して合計1ヶ月程度費やしたキャノピー製作ですが、結局、窓の大きさは本取り付けをすると設計から多少の誤差が生じてしまうこと、石膏加工が想像以上に難しく高い表面精度を出せなかったことから、本番では用いずに従来の方法で窓を製作しました。しかしながら、フェアリング班としてさらに良い機体を作ろうと新しい試みをしたという事実が、何よりも良かったと思います。
最後になりますが、同班の最後まで一緒に走り続けてくれた同期とついてきてくれた後輩には感謝しかありません。楽しい時間をありがとうございました。

24代フェアリング班パートリーダー 塚本夕菜


OB・OG の皆様、お世話になっております。24 代コクピ班パートリーダーを務めさせていただきました志田遙望です。執行代を終えた心境として、まずは無事に機体を琵琶湖で
飛ばすことができたことへの安心感があります。この部活の特性上、チーム全員の努力が一つのものに結集しているため、これほど責任感、不安を抱えた活動はこれまで生きてきて初
めてでした。そんな中頼りになったのはやはり OB の皆様からのアドバイスでした。「ノーツの強さの秘訣は引き継ぎにある」という言葉を強く実感した一年でした。
さて、24 代のコックピット班は、「基本的なことを丁寧にこなす」という理念の下活動してきました。代替わり直後は、CWM の試作などの新パーツの考案を予定していましたが、パーリーとしてのスケジューリング能力の無さから、全体作業や他の班作業に追われるようになってしまい、結局実現できませんでした。そんな状況の中、何を目標として活動していくかを考えたとき、丁寧で精度の出た機体作りを徹底することもチームに貢献できることの一つなのではないかと考え、ほとんどの作業内容は去年を踏襲しつつ、厳しいチェック基準の下機体製作を行なってまいりました。コックピット班の作業は基本的に相貫、クロス巻きないしはよしもと補強の繰り返しですが、個人的にはこれらのメイン作業を妥協なくこなすことができたと感じております。加えて、今年は昨年実施できなかった大リングのバルサ材への変更と電装マウントの作成を行なうことが出来ました。大リングの素材変更は 22 代の頃から構想があり、その構想内ではバルサ材 2.5 ミリを1 ミリカーボンで挟んだバルササンドプレートを素材にして主桁穴周り部を軽量化するという方針でしたが、実際はバルサ材を 1.5 ミリにした3.5 ミリの大リングを作成し、荷重試験を実施して強度を確かめた上で本番で使用しました。荷重試験は、7 段脚立間に大リングを相貫した桁を固定し、大リングボルト穴周りにブランコのような機構を作り、想定荷重の 1.5 倍以上荷重がかかるよう部員を乗せるという流れで行ないました。電装マウントに関しては、本番の電装機器取り付けの時間短縮、機器取り付け機構の軽量化を狙って作成しました。構造を考える際は、22 代の電装マウントを参考にしました。ただ、22 代は前斜めではないマウントを採用していたため、GoPro 取り付け部の生える方向が地面から上空側でした。一方、前斜めからはやすとなると、その逆方向にする必要があるため、GoPro の荷重を支える力が反作用分減ることを考えて 22 代のときよりもアタッチメントと桁の間の補強を強くしました。また、伸ばす桁の長さは、サイコンが桁にくくりつけられるくらいの長さを確保しました。これにより、実際にすべての機器を取り付けてみたところ、GoPro マウントを中心にして機器が密に配置され、パイロットの視界を占める面積を小さくできたのではないかと思っています。GoPro マウントの重量については、昨年GoPro を取り付けるのに読売が用意したアタッチメントと比較して、パテクロス抜きで 90グラムほど軽くすることができました。パテクロス補強は念のため行ないましたが、今年の作り方ならエポ固定のみでも耐えたのではないかとも今となって感じています。他チームでは、発泡スチロール製のマウントを使用していた所もあったため、使用する素材をより軽いものにし、早い時期から TP をつくってみるのもよいかもしれません。最後に、活動を通して支えてくださった OB の方々、特に、コクピ班の活動を助言などを通して支えてくださった 22、23 代のコックピット班 OB の皆様、本当にありがとうございました。

24 代コックピット班パートリーダー 志田 遙望


 ブログをご覧の皆様、Windnauts24代駆動班長を務めさせていただきました。稲垣翔伍と申します。初めに、この一年間、ご支援ご声援ありがとうございました。また、製作にご協力いただいた23代の先輩方と25代の後輩たちには私の不手際のせいでかなりの負担を掛けることになってしまいました。この場を借りて謝罪申し上げます。
 今年の駆動班は、私が全体設計と駆動班長を務める形となりました。初めは、特に問題なく可能だろうと安直に考えておりました。駆動班の計画も立てたところ、順調にいけば3月には悠々とロールアウトになる予定でした。しかし、結果的には初めのTFにはいくつかのパーツが間に合わず、予備パーツに関しては直前まで作り続けることになりました。現役生の手だけでは間に合わず、23代の方々の手を煩わせることになってしましました。予定に関して、去年の反省を生かせなかったのは私の実力不足であったと痛感しております。今年の成果としては、昨年まとめていただいた製作手順書をもとに製作を行い、精度を担保した上で製作時間を短縮することを目指しました。特に、ペラマウントの製作手順の見直しはかなりの製作手順の短縮につながりました。また、キャップや下出力、上入力に見られる13°の作り方についても治具を使用せず、コンプルデックスという器具をしようすることで、より精度が高く、製作時間を短縮することにつながりました。このような短縮につなげられたのは、これまでの先輩方が製作手順を記録していただき、23代の方々が全てのパーツの細かな製作方法を復活させていただいたおかげです。昨年度先輩方も述べられておりましたが、作業計画を細かく立てることと引き継ぎ資料の重要性は身に染みてわかりました。作業計画については、遅れが生じた場合はすぐにスケジュールを立て直し、引き継ぎ資料は常に最新版に保つことはこれからの駆動班員に言い伝えていきたいと思います。
 回転試験やTFでは、異音や駆動トラブルが目立ちました。異音に関しては、シムリングの調整でかなりの低減が図られるように思いました。駆動トラブルに関しては、キーの入れミスや入れ忘れが多発したため、キーに関しては入れたらダブルチェック、さらに写真も撮って残すことにして対策を講じておりました。TFが駆動トラブルで中断または、撤収となったときは本当に申し訳なかったです。来年は同様のトラブルが起こらないことを祈っております。
 鳥コンでは、調整したはずのシムリングにずれが生じており、鳥コン会場で調整し直すこととなってしまい、本番においても他班に迷惑を掛けることとなってしまいました。私はボートに乗っていたのでプラホ上での対応は、23代の先輩と25代に任せることとなったので、信じるしかなかったですが、特に問題なく飛んだときはとても安心しました。結果として、優勝という結果が得られたことはとてもうれしかったです。
 最後になりますが、改めてこの一年応援いただいた皆様、本当にありごとうございます。このような結果は、皆様のご支援、ご協力がなければ得られなかったものだと感じております。来年以降のご支援のほども何卒、よろしくお願いいたします。

24代 駆動班班長 稲垣翔伍


OBの皆様お世話になっております. 24代操舵班パートリーダーの城田嶺人です. まず, OBの皆様には今年度の機体製作への多大なる協力をいただいたことに感謝申し上げます. また, 一年間私と共に製作に関わってくれた操舵班員については, 多くの迷惑をかけてしまったことをここでお詫び申し上げます.
さて, 今年の機体製作について書きたいと思います. 今年は, 23代の先輩が19代以来の新規製作のお手本を見せていただき, 久しぶりに全ての作業を見た執行代による製作になりました. そこで, 代替わり直後には去年よりも早いロールアウトと, 新技術への挑戦を掲げていました. しかし, いざ製作に取りかかると予想外にトラブルが多く発生し, なかなか思うようにいきませんでした. 特に操縦桿については, 今年は軽量化を目的に自作桁での製作に戻そうとしました. これが大きな遅れの原因となりました. 自作桁ならではの強度や加工性, 製作誤差により何度も失敗を繰り返し, 多くの時間を費やしました. 操縦桿以外にも多くの失敗を起こし, 昨年順調にロールアウトしたのは吉田先輩の見えないところでの頑張りによるものだったと痛感させられました. 結局去年比1日早い尾翼調整となりました. ほとんど誤差ですね. 尾翼調整以降も何かと不安の残る操縦系統となってしまい後輩にはあまりよいお手本を見せられず申し訳なく思います.
鳥コン本番においては, 組立て中に尾翼が動かないという事態がありましたが, 落ち着いて対処することができました. 恥ずかしながら, これまで多くのトラブルを対処した成果です. プラットホームから発進していく機体の尾翼が順調に動いているのを見てようやく肩の荷が下りました.
今年一年間を通して, 私の楽観的な性格による遅れや失敗が多発してしまい多くの心配をおかけしました. しかしながら私たちの失敗まみれの一年間にも大きな成果があります. それは, 昨年よりも50g軽い操縦桿を作れたことです.
最後になりますが, 重ねて OB の皆様の支援に感謝申し上げます. 本当にありがとうございました.

24代操舵班パートリーダー城田嶺人


電装班は3年生が一人ということで自分がやりたいことを好きなだけ,精一杯楽しみながら引退まで活動できました.気力と体力が残っているうちに,夜通しの作業やTFの早朝作業など,この部活に参加しなければ経験できないことが多くあり,どれも貴重な時間だったと感じています.
我々が最後まで活動できたことは,様々な形で応援していただいた皆様のおかげです.
既に来年度の機体製作が始まり,次の世代の部員が作業に明け暮れていると思われます.引き続きWindnautsの応援をしていただけると幸いです.

24代 電装班黒木 光
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